千葉大学法政経学部同窓会

千葉大学法政経学部同窓会 現在の会員は約14000名です。

Archive for 1月, 2010

千葉県庁 石田 涼

千葉県庁に勤務している石田涼と申します。
今回、年度の幹事をしていることや千葉県庁に勤務していることから、
県の仕事の紹介を中心に会報に原稿を寄せてほしいとの依頼を受けました。
私は東京に住んでいましたが、いろいろな縁から1990年4月に千葉大学法経学部法学科に入学しました。
講義はほとんど出ていましたが、特にバイトや部活動に励むでもなく、
先輩や友人と講義後サ館(サークル会館の略です)や友人宅で駄弁っているそんな学生でした。
ゼミも法学科の方は御存じだと思いますが経済学科と異なり卒論などはなかったため、
民法の中川先生、憲法の尾吹先生、行政法の宮田先生の演習と複数顔を出し、よく言えば幅広く、悪く言えば底の浅い学業だったと思います。
大学卒業後1994年に千葉県庁に入庁しました。
今年で17年目になりますが、これまで5つの職場を経験しています。
最初は、松戸にあった東葛飾支庁という出先機関で県民の日の地域行事として小学生のサッカー教室や物産市などイベント企画、
県の施設などをまわるバスツアーの企画添乗、県広報誌県民だより地域版の企画や取材同行などを行いました。
柏レイソルのユースコーチの方々に協力をいただきサッカー教室を行ったり、
市町村の職員の方々と物産市の会場の準備をしたことを懐かしく思います。
2か所目は、企画部の地域政策課というところで、今は全く聞かなくなりましたが、
リゾート法(正式には総合保養地域整備法と言います)や業務核都市など地域整備の計画の進捗管理を行う仕事、
それからアクアライン1周年記念イベントの企画を担当しました。
この課で印象に残っていることは、とにかく現地主義で仕事で出張するのはもちろん、
休日も課の職員同士で一緒に県内いろいろなところを見て回ったことです。
実際に見に行った場所の印象は今でも記憶に残っており、
後々仕事に役立ちました。続いて3か所目に異動したのが、総務部の市町村課というところです。
この課はその名のとおり、市町村に関する様々なことを担当する課で、財政面のこと、
給与や定員管理など人事面のこと、税金に関すること、
選挙に関することなどいろいろなことを担当しています。
この課の特徴は、県職員だけでなく、国からの派遣職員や市町村からの研修職員が沢山いて、
出身が異なる職員が一緒に仕事(もちろん夜飲みにも行きます)をすることで、
これまで当たり前だと思っていたことが、別の考え方があることに気付かされることがしばしばあります。
続いて4か所目が松戸警察署への出向です。生活安全課というところで、
防犯関係の仕事をしました。普段は署の中で犯罪統計をまとめたり、
防犯用のホームページを作ったりしていましたが、時には金融機関の防犯訓練で強盗の役をやったり、
小学校の講話で不審者役で児童に声をかけたり、住民の方と一緒に夜間パトロールをしたりしました。
また、夜間、土日祝日の当直の際には、警察官と一緒に当直部屋に詰め、
110通報を無線や電話で受けたり、迷子や迷い老人を街中探したり、
家出人の捜索願の手配をするなど、ドラマや映画ではないですが事件はまさに現場でたくさん起こっていました。
その後、3か所目の市町村課に戻って市町村財政に関する仕事に2年従事した後、
5か所目として、県内の白井市(最近北総線の関係で有名になりましたが、
全国で一番梨の生産量が多い千葉県の中で、一番生産量が多い市町村です)に派遣となりました。
財政課職員として市の予算編成や執行管理を行うとともに、契約や行政改革なども幅広く、
そして実地に経験することができました。現在は3か所目で書いた市町村課に三度戻り、起債
(市町村などがする借金のこと)の同意許可の仕事をしています。皆さんが県庁と聞いて思い浮かべるような、
道路整備や福祉関係などの仕事を私はしていないのですが、
逆に県の仕事は幅が広いということがお分かりいただけたのではないかと思います。
最後になりましたが、広く人のためになる仕事がしたいと考えている法経学部生の方、
ぜひ千葉県庁で一緒に働きませんか。

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俳優 枡谷裕

平成元年法経学部法学科卒、俳優です。プロダクションに所属し、舞台、映像、声優の仕事をしています。
現在放送中の韓国ドラマ「イ・サン」(NHKBS2)でカン・ドゥチ役の吹き替えをしています。ときどき演劇や朗読の講師もしています。 
千葉大学卒業後、文部事務官(国家公務員)として一橋大学に勤務。平成四年文部省転任。
平成一〇年文部省(文部科学省になる前でした)を退職し、文学座附属演劇研究所入所。平成一三年卒業。
同年スターダス・21所属。現在まで同事務所に所属しています。 
在学当時は演劇とは無縁の学生生活でした。ですが、
入学時に新入生歓迎行事の一環で演劇サークルが階段教室で上演した「もっと泣いてよフラッパー」はなぜか観に行きました。
身体を一杯に使った先輩方の演技が記憶に残っています。 
演劇との出会いは、就職してからです。区の青年館という青少年施設が主催した朗読講座に参加したときその講座の講師の方が、
ある演劇公演の演出をされており、私を誘ってくださいました。
初舞台は高田馬場の小さな劇場でした。源氏物語を元にしたお芝居で、私の役は源氏物語の原文を朗読するお坊さん。
以後その劇団の舞台に継続して出演するようになりました。 
平日は仕事で十二時を過ぎるのは当たり前、稽古は週末に参加するという生活が五年ほど続きましたが、
徐々に舞台にも職場にも支障が出てきました。役者と役人、選択を迫られました。
十年後に後悔したくないと思い俳優を選び、文部省を退職しました。
既にそれから十年が過ぎましたが自分でも不思議なくらい後悔はしていません。 
文部省から俳優へ、一見意外な取り合わせですが、私の中では一貫しています。
文部省の仕事も俳優も人間についての仕事だという点は共通しています。
より直接に人間そのものに迫る俳優の道に進んだのは自然な流れだったとも感じます。
これからもあらゆる角度から人間を見つめていきたいと思っています。 
現在は十一月の公演に力を注いでいます。私が企画しました。
出演もします。お時間ありましたら是非お出かけください。
「私のかわいそうなマラート」(A・アルブーゾフ作)戦争中から戦後のレニングラードのアパートを舞台にした、
出演者三人の対話劇。
十一月十九日(金)~二十一日(日)座・高円寺2(JR高円寺駅北口徒歩5分)十九日(金)十九時、二十日(土)十四時、十九時、二十一日(日)十三時、十七時三十分、
前売二千五百円、当日二千八百円全席自由 
 「 お名前(フルネーム)」「希望日時」「枚数」「御連絡先」をお知らせください。
同窓会報を御覧になったことをお書き添えいただければと思います。詳細はこちらのブログもごらんください。

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井出 浩司(株式会社アイディーエス)

ひょんな事から東京と千葉を間違えて千葉大に入学したのが昭和51年(東大と千葉大間違えたのではありません。
大学別過去*年入学試験うんぬんを買い間違えました)
杉並生まれの練馬育ちの私が、千葉大入学を機に、どんどんと千葉にのめりこんで34年がたちました。
入学からかずえて4年後、SONYとNECの違いも分からずNECに入社、
当時はコンピュータの事を情報処理と言っており、
情報処理という言葉の意味を理解できずコンピュータプログラマに、
運動不足解消に本社の8階まで毎朝階段を駆け上がっていたら運動不足解消に役員に
「君は好青年」となぜか気に入られ、あれよあれとと見合い話の山。
(今考えると半分は婿養子。私次男です)「これなら社長だよ。」
という甘言に乗せられホイホイとNECを辞め印刷会社のオーナー社長の一人娘と養子縁組付き結婚。
そのうち社長だい、と単純に喜んでいたら3年で返品。
新潟の護国神社の神主、東京の斉藤神父の前での永久に愛する云々の誓いはただのセレモニーでなんら拘束力を持たないことを痛感。
今更NECにも戻れないし、唯一残ったプログラムが書ける、というスキルを信じ起業したのが千葉大学入学から18年後。両国に事務所を構え、NEC時代の縁を頼りひたすらプログラムに固執。
みじめったらしく下請け一筋に徹していた時、父から「バブル時7千7百万で父が買った茂原の100坪の土地がもったいない。
住んじまったらどうだ」との御託宣。住む分には、と事務所を両国に残したまま茂原に。
事務所から20分の秋葉で愛読書「月刊WindowsServer」が3日で売り切れるのに
茂原一のTSUTAYAでは一ケ月同紙が3冊いつでも買える状態。茂原ならわが社は一番、
と事務所も移す決断に数時間かけ職住とも茂原に。入学から24年。)
9.11と同じころ「景気が悪いんじゃなくて、ここにはニーズがない」と気ずく。
それから東京・千葉市を中心に営業。私のスキル必要とする規模の会社は千葉市から東京寄り、
と判明。千葉県庁の渡部先輩初め官公庁に営業するも微細企業がはいる余地なし。
悪戦苦闘を繰り返している内に渡部先輩から電話。—-確か定年したはずだが?注文の話ではないな・・・—。
と法経学部のサイト作成との事。もちろんお手の物。さらにコンテンツは同窓会報が電子データであり「ちょろいじゃん」と思ったら落とし穴がドンドン。そもそも本体のサーバからのリンクが私のサイトに貼ってくれない。
誰が管理してるのかメール出しまくり。
11月から始めて6月に学部のパソコン達人大塚先生から千葉大学SNS(Curio)のAdministoratorのご指名の栄誉を浴びる。
7/10の同窓会総会の前に大学のサイトのチェック→な、なんとしっかり同窓会のリンクが私の作ったサイトに。
長かった8か月の苦労が報われた瞬間。誰が、いつリンクを貼りかえてくれたか考えるのは止めようと決意。
その方がすぐやってくれれば数々の無駄になった仕掛けが・・・・。
プロなんで仕掛けの中身紹介。1ST:「包茎学部」で大手検索エンジンのトップをすべて制覇。
2nd:「法経学部 同窓会」で大手検索エンジンのトップをすべて制覇。
(千葉のチの字も入れずトップ、この意味わかるかな)
3rd:「包茎学部」で大手検索エンジンのトップをすべてキャンセル
(クローラロボットがいうこときかずに苦労ら—業界では使い古されたオヤジギャグ)。
このリンクを期に同窓会報編集の吉野先輩からサイトのヒットを増やす為の呼びかけを兼ねて原稿依頼が。
「大手検索エンジンのトップをとる方法」サイトに1週間だけアップします。
いつかは言いません。毎日サイトチェックしてください。
(昭和55年卒)http://chiba-u-le-dousou.jp/

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蜂屋俊平(地銀)

卒業後、某地方銀行に勤務して七年経過しました。
人員構成の関係もあり早い時期から外回り営業を担当させてもらえ、
その後もほぼ営業課に在籍し、現在は千葉近郊の顧客を担当させてもらっています。
顧客訪問する中で、本業である資金調達ニーズや企業聞の情報の橋渡しができないかなど情報を収集しています。
企業聞の情報の橋渡しはなかなかわかりにくいかと思いますので、
融資案件の検討という側面から書きたいと思います。参考になれば幸いです。
資金調達ニーズに応じるためには企業でいえば決算資料を開示してもらう必要があります。
決算資料は1年の企業運営の結果やその時点での資産負債の状況を示すものですから、
上場企業は別として、おいそれと第三者に公開できるものではありません。
訪問面談し話を伺うことについても多分に内情要素が含まれるので決算開示とスタンスは変わらないでしょう。
その様な中で情報のやり取りをするのですから、
もちろん金融機関としての信用も大切なのですが、
営業マン個人として信用してもらうことも大大切なことです。
一つの部署で顧客を担当させてもらえるのは長くて3年程度で、
異動(転勤)となる都度個人としての信用を構築して行かなければならないということです。
知識はある程度あとからついて来るものですが、
如何に相手の懐に飛び込んでいけるかがこの仕事では胆なのだろう。
そんな基本的なところに行き着きながら職務に勤しんでいます。(平成15年卒)

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昭和43年卒

私たち、昭和43年卒業組は総勢37名で、これまでに4名が物故者となり9名が連絡不能となっていますが、
毎年の同窓会総会には718名が参加し、その日の夕方の同期会には同名近くが出席しています。
私たちは、年賀状のやり取りのほか、さまざまな形で連絡を取り助け合い励ましあってきましたが、
今年の3月で全員が防歳以上となります。
でも、どっこい、まだまだ元気です。
年金生活で家にいる者もほとんどが町内会長を初めとして何らかのボランティア活動をしており、
現役組では、商事会社勤務だった鈴木蕃さんは会社の海外営業部長として年に7~8回は海外出張に行き、
木の粘土芸術家の小杉荘八さんはますます円熟期を迎え製作依頼に追われるなど多士済々で、
皆元気にやっています。
中でも、郡司孝夫さんは外資系の会社勤務で海外での経営者などを終えてから
従事したマンション管理人の経験を生かし、この1月に合格率7、8%という難関のマンション管理士に見事に合格し、
このほど開業しました。
人生80年時代、これからも皆健康で頑張り、同窓会や同期会での再会を楽しみにしていきたいと思います。
前川護、藤野武彦

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弥生ししの会(昭和44年卒)

「弥生ししの会」は来年の総会の日に開催します。
弥生ししの会「弥生ししの会」は、昭和44年3月に文理学部社会科学課程を卒業した者の集まりです。
千葉大の所在する千葉市弥生町の地名から「弥生」を、44年から「しし」をとって名づけたものです。
今回の総会には5名が参加しました。
それぞれ、熊谷市長の話を聞き、懇親会で仲間や先輩、後輩と楽しい交流を持ちました。
総会終了後、新たに6名が加わり計11名で、西千葉駅南口前の居酒屋で集まりを持ちました。
せっかく総会に5名が参加するのだから、千葉、東京周辺に居住する仲間にも声をかけ、
有志による「ミニししの会」です。皆、還暦の坂を超え、ほとんどの人が従前の職場から離れ新しい生活に踏み出しています。
悠々自適の生活を送る人、新しい職場で働いている人、畑作りを始め野菜作りに精を出している人、趣味に生きている人、
親の介護に携わっている人、一人ひとりそれぞれの人生を一生懸命に生きています。
酔うほどに、青春を語り楽しい時間があっという間に過ぎてしまいました。
数年振りの「弥生ししの会」を来年の法経学部同窓会総会の夕方、
西千葉周辺で開催することを申し合せ、再会を誓い散会しました。                
                                     昭和44年卒   吉野聰

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昭和48年卒業生の平成22年同期会報告

大学闘争(学園紛争)・ベトナム反戦運動・沖縄返還(奪還)闘争・
70年安保闘争・東大入試中止・千葉大への機動隊導入によるバリケード封鎖解除と並び立てれば切がなく、
今の千葉大の平和を謳歌している姿とはまったく無縁な環境下で大学時代を過ごした、
昭和44年入学の法経学部法律学科(当時、人文学部法律専攻)の同期会は、
大方の同期生が卒業した昭和48年の卒業以来、
一時の間断はあったものの、連綿として開催されてきた。概ね、
5周年毎の旅行会(同期の仲間の出身地である、長野、新潟等)を間に挟んで、
ここ10年ほど毎年1月の最終金曜日に、銀座三井アーバンホテル銀座 地下1階の“cat’s & dogs”で、
関東甲信越の卒業生を中心として開催されてきた同期会が、
今年も、1月29日午後7時から,17名が参集して開催された。
参加メンバーは、写真の通りで、さすがに、年齢を感じさせるものになってきた。
遠方では、新潟、長野からの参加もあり、会は、開会後3時間があっという間に過ぎてしまった。
さすが2浪組は既に還暦を迎え、健康談義が尽きない世代となったが、
現役組の早生まれの連中(私もその一人だが)全員が還暦を迎えたら、
還暦記念同期会を来年平成23年に開催することを決定して会を終えたが、最後まで盛り上った会であった。
残念なのは、この同期会の仲間が、法経学部同窓会にはなかなか集まらないことだ。
幹事の不徳の致すところであろうが、
今後は少しでも同窓会への参加者を増やすべく努力することをお約束して、報告を終えることとする。
(昭和44年入学、同48年卒同期会幹事 岩出 誠) 

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昭和46年(1971年)卒 同期会(文理学部法律・政治学科)

昭和46年(1971年)卒 同期会(文理学部法律・政治学科)は、7月10日に開催された今年度の法経学部同窓会総会に出席しました。
我々の入学した42年(1968年)は文理学部としての最後の年次で文理学部社会科学課程法律・政治学科という名称でした。
同期は20名です。学部には他に経済・社会学科があり、20名いました。
今回参加したのは5名とさびしかったのですが、総会、熊谷千葉市長の記念講演の後、懇親会があり、
久しぶりに、なかには、卒業後40年ぶりに会う仲間、先輩、後輩もいて大変懐かしく楽しい時間を持つことができました。
その後、私たち46年組5人は、稲毛駅前の蕎麦どころ「信濃」に場所を移し、地酒、焼酎を酌み交わし旧交を温めました。
最初のうちは、お互い何から話していいかとまどいも感じていましたが、
酒を交わしながら卒後の状況、仕事、健康、趣味、など来し方、近況など語り合ううち、
しだいに当時の思い出、出来事が次々と浮かんできて、当時にタイムスリップするのにさほど時間がかかりませんでした。
時間の経つのも忘れ、久しぶりの再会にすっかり酔いしれた一日でした。
これを機会に、再会(酒食、ゴルフ)することを、
また、皆にも呼びかけ法経学部同窓会にみんなで参加し、
その日に同期会を実施しようということを約束し散会しました。

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本同窓会が千葉日報に掲載されました。

2010年1月に
「謹賀新年」の広告が、
地元紙「千葉日報」に掲載されました。

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