千葉大学法政経学部同窓会

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Archive for 11月, 2009

松尾貴臣(シンガーソングライター)

今回は、シンガーソングライターで、株式会社こころざし音楽工房の代表取締役を務める
2002年法経学部経済学科卒 松尾貴臣氏にインタビューしました。

― まず、松尾さんのことをお聞かせください。

西千葉を拠点に音楽活動を行っている、松尾貴臣と申します。1998年、千葉大学入学法経学部経済学科進学と共に長崎から上京して来ました。西千葉へ来て12年、1度だけ引越しをしましたが、一貫して中央区松波に住んでいます。西千葉と呼ばれる地域の中心部です。西千葉から全国へ!を合言葉に活動を続けています。

― ミュージシャンを目指したきっかけは何ですか。

中学時代に父親の部屋にあったギターを弾き始めたことがきっかけで、作曲をするようになり、高校を卒業するまでに50曲程作りました。そこで「もしかしたら、おいは天才かも知れんばい」と、よくある勘違いをし「夢を叶えるためには東京に出らんばいかん!」と思い関東進出を決意しました。両親が「国立大学に行くとやったら出してやる」と条件を出して来たので、総合的見解の元、千葉大学に進学しました。

― 現在はどんな活動をしているのですか。

2008年に株式会社こころざし音楽工房という自身の音楽事務所を立ち上げました。それ以来、積極的に全国を行脚し、「ハッピーを届けよう」をテーマに病院や福祉施設など社会福祉の世界を主な活動の場として歌を歌っています。坂本龍馬が大好きで、歌う坂本龍馬として和服を来て活動をしているのですが、その活動が認められ2009年10月に高知県の尾崎県知事から高知県観光特使に任命されました。

― 坂本龍馬のどのようなところが好きですか。

彼の有名な言葉に「世の人は我を何とも言わばいえ、我が成すことは我のみぞ知る」というのがあります。このポリシーがとても好きです。時代に左右されず、名誉や金銭欲にも流されず、自分の信じる道をひたすら走った坂本龍馬。その姿に憧れます。また、彼は土佐藩の下級武士でした。土佐藩はその時代、全国でも屈指の身分制度の厳しい藩でした。そんな藩にいては何も出来ないと、龍馬は28歳で脱藩します。それから暗殺されるまでの約5年半。彼が成したと言われる「亀山社中設立」「薩長同盟」「大政奉還創案」などは全てその間に行われたことです。後ろ盾の無いところからスタートし、遅咲きながら日本に旋風をもたらしたというところに自分の姿を照らし合わせ、負けじと頑張ろうという思いになります。

― 病院や福祉施設を回る活動を詳しく教えてください。

「ホスピタルライブ」と名付けて展開しています。とある末期がんの女性と出逢い、生まれた曲「きみに読む物語」が2008年「日本ホスピス・在宅ケア研究会全国大会in千葉」の大会イメージソングに選ばれたことがきっかけで医療関係の方々と出逢い、ホスピタルライブ活動が始まりました。2007年12月から始め、2年が経ちますが約40都道府県200箇所の病院・福祉施設にて開催しました。南は鹿児島から北は岩手まで、沖縄・北海道以外は全て軽自家用車で移動しています。自分の歌が少しでも社会の役に立っているということをこの活動は感じさせてくれます。これからも社会福祉の世界を華やかにしつつ、全国区を目指して活動して行きたいと思います。

― 最後に大学時代の想い出を教えてください。

学生時代は、ひたすらアルバイトと音楽活動でした。音楽をやるためにはお金が必要です。ライブや機材購入費やボイストレーニングの学費など普通の学生以上にお金がかかります。みんがスノボーやらサークル旅行やら行っているのを横目にアルバイト先へ向かう生活でした。もちろん、勉強も頑張りました・・・。(笑)でも、学部時代に学んだ経済・経営の勉強が今、起業したことによって相当役に立っていると思います。また、大学院では広井良典ゼミで社会保障や医療経済を学んだのですが、やはりその分野も今の音楽活動と密接に繋がっています。人生には何一つ無駄なんて無いんだなと思います。

― 今日はありがとうございました。今後のご活躍期待しています。

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