千葉大学法政経学部同窓会

千葉大学法政経学部同窓会 現在の会員は約14000名です。

Archive for the '卒業生近況' Category

今村文彦

・聞き手佐藤輝幸さん(2001年卒)

ーまず、今村さんのことをお聞かせください。
高校まで仙台で過ごし大学、大学院を千葉大学で過ごしました。
千葉大学では松田忠三先生に師事しました。
大学院卒業後、株式会社NTTデータ東京SMSに入社、システムエンジニアとして全国のほとんどの信用組合が利用している共同バンキングシス
テムの開発・維持業務に従事しました。
その後、東京証券取引所に転職し、IT開発部情報システム担当として、いわゆる情報系に分類される情報システムの企画・開発・管理業務に従事しています。
システムの利用者側(ユlザ企業)と提供者(システムインテグレーターSIer)の両面を経験していることが自分の強みの一つだと思っています。

ーSEを志したきっかけは?
新卒の就職活動では当初は商社や金融機関を中心に回りましたが、これがなかなか思うような結果が出ませんでした。
自問するうちに、SEは全てのビジネスパーソンに必要とされる論理的思考力、コミュニケーション能力、ITスキルの全てを研績できる理想的
な職種の一つだと気付きました。
システムやプログラミングに関する知識はありませんでしたが、自分の可能性を広げるためにSEの世界に飛び込みました。

ー転職したきっかけは?
私が配属された担当には10年選手や20年選手がたくさんいました。
2年目も後半にさしかかったときに、このまま何十年も同じ職場で過ごす可能性が高いことに対して強い疑問を抱くようになりました。
良し悪しは別として、その担当のカルチャーとして異動の可能性が低かったということですね。
そんなときに東証がキャリア採用していることを聞き応募したところ採用して頂けました。
転職には「自分の能力で東証ひいては日本の金融市場の発展に貢献するんだ!」という強い意気込みで臨みました。

ー東証でのお仕事の内容は?
社内コンサルタント、プロジェクトマネージャと社内SEが混ざったようなことをやっています。
具体的にはシステム利用部署の要件定義支援、システム開発にかかる競争入札及び契約、SIerと一緒にシステム設計、検収テスト等を行っています。
企画段階からもの作りに携わることができる非常にチャレンジングな仕事です。
それが日本の金融市場との中核を支えることに直結するとなれば尚更ではないでしょうか。

ーその他、先輩・後輩へのメント等あれば。
東証に転職して聞もなく千葉大OBの先輩社員からお誘いを頂戴しました、「弥生会」に出席しと。
現在、東証には私を含め9名の千葉大OBが在籍していまして、その会合が「弥生会」というわけです。
これは何と言うか非常に温かい会です。転職して右も左も分からない状況で自分が東証の人聞になったんだと初めて実感できたのが
弥生会に出席したときでした。こういった超世代的な血の通った、かつ肩肘を張らない交流は得難いものであり、先輩の皆様には心から尊敬と感謝をしております。
借越ながら後輩諸氏に一言お伝えさせて頂きますと、千葉大生は全員、能力・と可能性に満ち溢れている
ということです。世界はみさんの活躍を心待ちにしています。是非、大きなビジョンンと行動力をもって
積極的にに社会に参画して頂きたいと願っています。そして活躍のステージの候補にに世界の金融市場のある東証を加えていただけたら幸いです。

ー今日はありがとうございました。

posted by mykouchan in 卒業生近況 and have No Comments

千葉県庁 石田 涼

千葉県庁に勤務している石田涼と申します。
今回、年度の幹事をしていることや千葉県庁に勤務していることから、
県の仕事の紹介を中心に会報に原稿を寄せてほしいとの依頼を受けました。
私は東京に住んでいましたが、いろいろな縁から1990年4月に千葉大学法経学部法学科に入学しました。
講義はほとんど出ていましたが、特にバイトや部活動に励むでもなく、
先輩や友人と講義後サ館(サークル会館の略です)や友人宅で駄弁っているそんな学生でした。
ゼミも法学科の方は御存じだと思いますが経済学科と異なり卒論などはなかったため、
民法の中川先生、憲法の尾吹先生、行政法の宮田先生の演習と複数顔を出し、よく言えば幅広く、悪く言えば底の浅い学業だったと思います。
大学卒業後1994年に千葉県庁に入庁しました。
今年で17年目になりますが、これまで5つの職場を経験しています。
最初は、松戸にあった東葛飾支庁という出先機関で県民の日の地域行事として小学生のサッカー教室や物産市などイベント企画、
県の施設などをまわるバスツアーの企画添乗、県広報誌県民だより地域版の企画や取材同行などを行いました。
柏レイソルのユースコーチの方々に協力をいただきサッカー教室を行ったり、
市町村の職員の方々と物産市の会場の準備をしたことを懐かしく思います。
2か所目は、企画部の地域政策課というところで、今は全く聞かなくなりましたが、
リゾート法(正式には総合保養地域整備法と言います)や業務核都市など地域整備の計画の進捗管理を行う仕事、
それからアクアライン1周年記念イベントの企画を担当しました。
この課で印象に残っていることは、とにかく現地主義で仕事で出張するのはもちろん、
休日も課の職員同士で一緒に県内いろいろなところを見て回ったことです。
実際に見に行った場所の印象は今でも記憶に残っており、
後々仕事に役立ちました。続いて3か所目に異動したのが、総務部の市町村課というところです。
この課はその名のとおり、市町村に関する様々なことを担当する課で、財政面のこと、
給与や定員管理など人事面のこと、税金に関すること、
選挙に関することなどいろいろなことを担当しています。
この課の特徴は、県職員だけでなく、国からの派遣職員や市町村からの研修職員が沢山いて、
出身が異なる職員が一緒に仕事(もちろん夜飲みにも行きます)をすることで、
これまで当たり前だと思っていたことが、別の考え方があることに気付かされることがしばしばあります。
続いて4か所目が松戸警察署への出向です。生活安全課というところで、
防犯関係の仕事をしました。普段は署の中で犯罪統計をまとめたり、
防犯用のホームページを作ったりしていましたが、時には金融機関の防犯訓練で強盗の役をやったり、
小学校の講話で不審者役で児童に声をかけたり、住民の方と一緒に夜間パトロールをしたりしました。
また、夜間、土日祝日の当直の際には、警察官と一緒に当直部屋に詰め、
110通報を無線や電話で受けたり、迷子や迷い老人を街中探したり、
家出人の捜索願の手配をするなど、ドラマや映画ではないですが事件はまさに現場でたくさん起こっていました。
その後、3か所目の市町村課に戻って市町村財政に関する仕事に2年従事した後、
5か所目として、県内の白井市(最近北総線の関係で有名になりましたが、
全国で一番梨の生産量が多い千葉県の中で、一番生産量が多い市町村です)に派遣となりました。
財政課職員として市の予算編成や執行管理を行うとともに、契約や行政改革なども幅広く、
そして実地に経験することができました。現在は3か所目で書いた市町村課に三度戻り、起債
(市町村などがする借金のこと)の同意許可の仕事をしています。皆さんが県庁と聞いて思い浮かべるような、
道路整備や福祉関係などの仕事を私はしていないのですが、
逆に県の仕事は幅が広いということがお分かりいただけたのではないかと思います。
最後になりましたが、広く人のためになる仕事がしたいと考えている法経学部生の方、
ぜひ千葉県庁で一緒に働きませんか。

posted by mykouchan in 卒業生近況 and have No Comments

俳優 枡谷裕

平成元年法経学部法学科卒、俳優です。プロダクションに所属し、舞台、映像、声優の仕事をしています。
現在放送中の韓国ドラマ「イ・サン」(NHKBS2)でカン・ドゥチ役の吹き替えをしています。ときどき演劇や朗読の講師もしています。 
千葉大学卒業後、文部事務官(国家公務員)として一橋大学に勤務。平成四年文部省転任。
平成一〇年文部省(文部科学省になる前でした)を退職し、文学座附属演劇研究所入所。平成一三年卒業。
同年スターダス・21所属。現在まで同事務所に所属しています。 
在学当時は演劇とは無縁の学生生活でした。ですが、
入学時に新入生歓迎行事の一環で演劇サークルが階段教室で上演した「もっと泣いてよフラッパー」はなぜか観に行きました。
身体を一杯に使った先輩方の演技が記憶に残っています。 
演劇との出会いは、就職してからです。区の青年館という青少年施設が主催した朗読講座に参加したときその講座の講師の方が、
ある演劇公演の演出をされており、私を誘ってくださいました。
初舞台は高田馬場の小さな劇場でした。源氏物語を元にしたお芝居で、私の役は源氏物語の原文を朗読するお坊さん。
以後その劇団の舞台に継続して出演するようになりました。 
平日は仕事で十二時を過ぎるのは当たり前、稽古は週末に参加するという生活が五年ほど続きましたが、
徐々に舞台にも職場にも支障が出てきました。役者と役人、選択を迫られました。
十年後に後悔したくないと思い俳優を選び、文部省を退職しました。
既にそれから十年が過ぎましたが自分でも不思議なくらい後悔はしていません。 
文部省から俳優へ、一見意外な取り合わせですが、私の中では一貫しています。
文部省の仕事も俳優も人間についての仕事だという点は共通しています。
より直接に人間そのものに迫る俳優の道に進んだのは自然な流れだったとも感じます。
これからもあらゆる角度から人間を見つめていきたいと思っています。 
現在は十一月の公演に力を注いでいます。私が企画しました。
出演もします。お時間ありましたら是非お出かけください。
「私のかわいそうなマラート」(A・アルブーゾフ作)戦争中から戦後のレニングラードのアパートを舞台にした、
出演者三人の対話劇。
十一月十九日(金)~二十一日(日)座・高円寺2(JR高円寺駅北口徒歩5分)十九日(金)十九時、二十日(土)十四時、十九時、二十一日(日)十三時、十七時三十分、
前売二千五百円、当日二千八百円全席自由 
 「 お名前(フルネーム)」「希望日時」「枚数」「御連絡先」をお知らせください。
同窓会報を御覧になったことをお書き添えいただければと思います。詳細はこちらのブログもごらんください。

posted by mykouchan in 卒業生近況 and have No Comments

井出 浩司(株式会社アイディーエス)

ひょんな事から東京と千葉を間違えて千葉大に入学したのが昭和51年(東大と千葉大間違えたのではありません。
大学別過去*年入学試験うんぬんを買い間違えました)
杉並生まれの練馬育ちの私が、千葉大入学を機に、どんどんと千葉にのめりこんで34年がたちました。
入学からかずえて4年後、SONYとNECの違いも分からずNECに入社、
当時はコンピュータの事を情報処理と言っており、
情報処理という言葉の意味を理解できずコンピュータプログラマに、
運動不足解消に本社の8階まで毎朝階段を駆け上がっていたら運動不足解消に役員に
「君は好青年」となぜか気に入られ、あれよあれとと見合い話の山。
(今考えると半分は婿養子。私次男です)「これなら社長だよ。」
という甘言に乗せられホイホイとNECを辞め印刷会社のオーナー社長の一人娘と養子縁組付き結婚。
そのうち社長だい、と単純に喜んでいたら3年で返品。
新潟の護国神社の神主、東京の斉藤神父の前での永久に愛する云々の誓いはただのセレモニーでなんら拘束力を持たないことを痛感。
今更NECにも戻れないし、唯一残ったプログラムが書ける、というスキルを信じ起業したのが千葉大学入学から18年後。両国に事務所を構え、NEC時代の縁を頼りひたすらプログラムに固執。
みじめったらしく下請け一筋に徹していた時、父から「バブル時7千7百万で父が買った茂原の100坪の土地がもったいない。
住んじまったらどうだ」との御託宣。住む分には、と事務所を両国に残したまま茂原に。
事務所から20分の秋葉で愛読書「月刊WindowsServer」が3日で売り切れるのに
茂原一のTSUTAYAでは一ケ月同紙が3冊いつでも買える状態。茂原ならわが社は一番、
と事務所も移す決断に数時間かけ職住とも茂原に。入学から24年。)
9.11と同じころ「景気が悪いんじゃなくて、ここにはニーズがない」と気ずく。
それから東京・千葉市を中心に営業。私のスキル必要とする規模の会社は千葉市から東京寄り、
と判明。千葉県庁の渡部先輩初め官公庁に営業するも微細企業がはいる余地なし。
悪戦苦闘を繰り返している内に渡部先輩から電話。—-確か定年したはずだが?注文の話ではないな・・・—。
と法経学部のサイト作成との事。もちろんお手の物。さらにコンテンツは同窓会報が電子データであり「ちょろいじゃん」と思ったら落とし穴がドンドン。そもそも本体のサーバからのリンクが私のサイトに貼ってくれない。
誰が管理してるのかメール出しまくり。
11月から始めて6月に学部のパソコン達人大塚先生から千葉大学SNS(Curio)のAdministoratorのご指名の栄誉を浴びる。
7/10の同窓会総会の前に大学のサイトのチェック→な、なんとしっかり同窓会のリンクが私の作ったサイトに。
長かった8か月の苦労が報われた瞬間。誰が、いつリンクを貼りかえてくれたか考えるのは止めようと決意。
その方がすぐやってくれれば数々の無駄になった仕掛けが・・・・。
プロなんで仕掛けの中身紹介。1ST:「包茎学部」で大手検索エンジンのトップをすべて制覇。
2nd:「法経学部 同窓会」で大手検索エンジンのトップをすべて制覇。
(千葉のチの字も入れずトップ、この意味わかるかな)
3rd:「包茎学部」で大手検索エンジンのトップをすべてキャンセル
(クローラロボットがいうこときかずに苦労ら—業界では使い古されたオヤジギャグ)。
このリンクを期に同窓会報編集の吉野先輩からサイトのヒットを増やす為の呼びかけを兼ねて原稿依頼が。
「大手検索エンジンのトップをとる方法」サイトに1週間だけアップします。
いつかは言いません。毎日サイトチェックしてください。
(昭和55年卒)http://chiba-u-le-dousou.jp/

posted by mykouchan in 卒業生近況 and have No Comments

蜂屋俊平(地銀)

卒業後、某地方銀行に勤務して七年経過しました。
人員構成の関係もあり早い時期から外回り営業を担当させてもらえ、
その後もほぼ営業課に在籍し、現在は千葉近郊の顧客を担当させてもらっています。
顧客訪問する中で、本業である資金調達ニーズや企業聞の情報の橋渡しができないかなど情報を収集しています。
企業聞の情報の橋渡しはなかなかわかりにくいかと思いますので、
融資案件の検討という側面から書きたいと思います。参考になれば幸いです。
資金調達ニーズに応じるためには企業でいえば決算資料を開示してもらう必要があります。
決算資料は1年の企業運営の結果やその時点での資産負債の状況を示すものですから、
上場企業は別として、おいそれと第三者に公開できるものではありません。
訪問面談し話を伺うことについても多分に内情要素が含まれるので決算開示とスタンスは変わらないでしょう。
その様な中で情報のやり取りをするのですから、
もちろん金融機関としての信用も大切なのですが、
営業マン個人として信用してもらうことも大大切なことです。
一つの部署で顧客を担当させてもらえるのは長くて3年程度で、
異動(転勤)となる都度個人としての信用を構築して行かなければならないということです。
知識はある程度あとからついて来るものですが、
如何に相手の懐に飛び込んでいけるかがこの仕事では胆なのだろう。
そんな基本的なところに行き着きながら職務に勤しんでいます。(平成15年卒)

posted by mykouchan in 卒業生近況 and have No Comments

松尾貴臣(シンガーソングライター)

今回は、シンガーソングライターで、株式会社こころざし音楽工房の代表取締役を務める
2002年法経学部経済学科卒 松尾貴臣氏にインタビューしました。

― まず、松尾さんのことをお聞かせください。

西千葉を拠点に音楽活動を行っている、松尾貴臣と申します。1998年、千葉大学入学法経学部経済学科進学と共に長崎から上京して来ました。西千葉へ来て12年、1度だけ引越しをしましたが、一貫して中央区松波に住んでいます。西千葉と呼ばれる地域の中心部です。西千葉から全国へ!を合言葉に活動を続けています。

― ミュージシャンを目指したきっかけは何ですか。

中学時代に父親の部屋にあったギターを弾き始めたことがきっかけで、作曲をするようになり、高校を卒業するまでに50曲程作りました。そこで「もしかしたら、おいは天才かも知れんばい」と、よくある勘違いをし「夢を叶えるためには東京に出らんばいかん!」と思い関東進出を決意しました。両親が「国立大学に行くとやったら出してやる」と条件を出して来たので、総合的見解の元、千葉大学に進学しました。

― 現在はどんな活動をしているのですか。

2008年に株式会社こころざし音楽工房という自身の音楽事務所を立ち上げました。それ以来、積極的に全国を行脚し、「ハッピーを届けよう」をテーマに病院や福祉施設など社会福祉の世界を主な活動の場として歌を歌っています。坂本龍馬が大好きで、歌う坂本龍馬として和服を来て活動をしているのですが、その活動が認められ2009年10月に高知県の尾崎県知事から高知県観光特使に任命されました。

― 坂本龍馬のどのようなところが好きですか。

彼の有名な言葉に「世の人は我を何とも言わばいえ、我が成すことは我のみぞ知る」というのがあります。このポリシーがとても好きです。時代に左右されず、名誉や金銭欲にも流されず、自分の信じる道をひたすら走った坂本龍馬。その姿に憧れます。また、彼は土佐藩の下級武士でした。土佐藩はその時代、全国でも屈指の身分制度の厳しい藩でした。そんな藩にいては何も出来ないと、龍馬は28歳で脱藩します。それから暗殺されるまでの約5年半。彼が成したと言われる「亀山社中設立」「薩長同盟」「大政奉還創案」などは全てその間に行われたことです。後ろ盾の無いところからスタートし、遅咲きながら日本に旋風をもたらしたというところに自分の姿を照らし合わせ、負けじと頑張ろうという思いになります。

― 病院や福祉施設を回る活動を詳しく教えてください。

「ホスピタルライブ」と名付けて展開しています。とある末期がんの女性と出逢い、生まれた曲「きみに読む物語」が2008年「日本ホスピス・在宅ケア研究会全国大会in千葉」の大会イメージソングに選ばれたことがきっかけで医療関係の方々と出逢い、ホスピタルライブ活動が始まりました。2007年12月から始め、2年が経ちますが約40都道府県200箇所の病院・福祉施設にて開催しました。南は鹿児島から北は岩手まで、沖縄・北海道以外は全て軽自家用車で移動しています。自分の歌が少しでも社会の役に立っているということをこの活動は感じさせてくれます。これからも社会福祉の世界を華やかにしつつ、全国区を目指して活動して行きたいと思います。

― 最後に大学時代の想い出を教えてください。

学生時代は、ひたすらアルバイトと音楽活動でした。音楽をやるためにはお金が必要です。ライブや機材購入費やボイストレーニングの学費など普通の学生以上にお金がかかります。みんがスノボーやらサークル旅行やら行っているのを横目にアルバイト先へ向かう生活でした。もちろん、勉強も頑張りました・・・。(笑)でも、学部時代に学んだ経済・経営の勉強が今、起業したことによって相当役に立っていると思います。また、大学院では広井良典ゼミで社会保障や医療経済を学んだのですが、やはりその分野も今の音楽活動と密接に繋がっています。人生には何一つ無駄なんて無いんだなと思います。

― 今日はありがとうございました。今後のご活躍期待しています。

posted by mykouchan in 卒業生近況 and have No Comments

佐藤輝幸(株式会社かっぺ)

今回は、株式会社かっぺの代表取締役を務める
2001年(平成13年)法経学部経済学科卒 佐藤輝幸氏にイン
タビューしました。

― まず、佐藤さんのことをお聞かせください。

私は、1978年に群馬県桐生市生まれました。
群馬から離れたいとは思っていましたが千葉という土地柄に
なんとなく魅かれ、千葉大学の経済学科に入学しました。
そして、大学4年生のときにアルバイトとして株式会社かっぺ
に入社し、縁あって2005年に代表取締役に就任しました。

― 「かっぺ」のことをお聞かせください。

当社は、10年前、当時千葉大学に在学してい千葉大学生4人が
四畳半のアパートでゼロから創業した会社です。

WEBシステム開発やホームページデザインなどの制作ベンチャーとして
千葉駅の近くを拠点として、活動しています。
インターネットを通して、お客様のもつイメージや夢を形にするのが
自分たちの仕事だととらえています。

― 御社の事業内容を詳しく、教えて下さい。

“ウェブ・インテグレーション”という言葉が一番当てはまります。

ホームページ制作という言葉は耳にすると思いますが、制作という言葉
では表せない技術と業務を担っています。

ウェブサイトの企画、デザイン、コンテンツ、制作とその仕組みとなる
ウェブシステムのプログラム開発や、サーバの管理まで行い、更に、
サイトの運営保守・販売促進やメールマガジンの配信代行など、インタ
ーネットでのビジネスに関する戦略全般に関してワンストップで提供
しています。

― 対象となるお客様をお聞かせください。

お客様は都内の上場企業からベンチャー企業、千葉の行政・企業など
東京と千葉が中心となっています。

千葉では、千葉大学が提供するウェブサイトのいくつかをお仕事
として携わらさせていただいております。

また、ポテトチップで有名な湖池屋様は、かっぺの育ての親的な存在
でもあります。

― 名だたる上場企業と取引がございますが、御社の強みをお知らせください。

当社のセールスポイントは、現場力にあります。

ウェブのシステム開発やデザインなど自社スタッフで最後まで責任持って
手掛けています。その中で培われている技術力と現場から生まれる経験・
ノウハウによって、能力が高く応用力のある技術者が育ち、そのメンバーに
よるチームワークによって、高い品質や柔軟性、スピードを保持しています。

― 最近の主な取り組みは?
自分たちの技術力を、世界の市場に目を向けて展開を始めています。
まず、オタクールという日本の文化を世界に発信するSNSを立ち上げ
ました。日本語・フランス語・英語に対応し、2008年末に公開し、
1000人突破し、8割がフランス人という、今後期待できるサービスです。

他にはiPHONEアプリなど世界にコンテンツを販売するといった
開発を進めています。

詳しくは、当社ウェブサイトをみていただければ幸いです。
* http://www.kappe.co.jp

― 今日はありがとうございました。今後のご活躍期待しています。

posted by mykouchan in 卒業生近況 and have No Comments